私が実践してきたこと

なにから書こうかなぁ と考えたのですが、まずは「私が実践してきたこと」「これから話していこうとしていること」をざっくりお伝えしようかなと!

「もったいぶってないで教えなさいよ!」ってヤキモキしてしまうかなと思いまして(笑)

もしかしたら、この記事だけでは訳が分からないかもしれません。でもこれから じっくり話していこうと思うので、今日は予告編だと思って聞いてみていただけたら嬉しいです。


私が実践してきたこと

「目の前の現実は すべて自分がうつしだしている」というスタンスに立つ

これが伝えることの中で、一番 大切なことです。
なぜならきっと、多くの人にとって 今まで常識だと思ってきたこと とは正反対だと思うからです。

目の前の出来事、他人、社会、環境…。これらは自分ひとりでは どうにもできないものだ と思ってきませんでしたか? 嫌な人、嫌な出来事には、どうすれば変わってくれるだろう?どう言えば分かってもらえるだろう?と 考えてきませんでしたか?

これを
この現実はすべて “わたしが” 映しだしているんだ」というスタンスに立つんです。

自分のものじゃないものは手出しできません。

お店で売られている商品も、売られている段階では、勝手に開けたり使ってみたりできませんよね。だけど、購入して自分の物になったら、使おうが 人に譲ろうが自由になります。

「現実」も同じです。まず所有権を自分にうつすんです。
そうしてから初めて考えられるんです。「さぁ この現実をどうしていきたい?」って。

「本当の自分は偉大な存在である」というスタンスに立つ

これも結構 重要な大前提なのですが、多くの人にとっては… 特に謙虚な 心優しい民たちにとっては「えぇ…」と抵抗が大きいところかなと思います。

だって今まで私たちは、足りないところ、できないところ、よくないところに目を向けさせられてきましたもんね。学校でも職場でも「今が不完全」という前提で目標を立てさせられてきました。

そして、自分が大好きなんて言おうものなら「ナルシスト」なんて叩かれ、足りない部分を指摘されてきました。謙遜こそ美徳だとされてきました。


そんな中で突然「自分を偉大な存在だと思ってください」なんて言われても、今までと言われていることが真逆すぎて混乱しますよね。わかります、私もそうでした。

「あれもできないし、これもできないし、それなのにどこが偉大なの?」って思っていました。「自分を偉大な存在だなんて思ったら、人として成長していかないんじゃないの?」とも思っていました。」

でも、私たちの本当の姿は、この “わたし” じゃない。

本当の私たちは
“ なれないもの、できないこと、手に入れられないものは何もない ” ほど大きな存在」 で、「常に至福感に満たされている、無上の幸福そのもの」「好奇心そのもの、愛そのもの」なんです。

今は「嘘だぁ」と思っていて大丈夫です。「なんかひとり盛り上がってますね…」と思っても大丈夫!ちゃんといつか、本当にそう思える日がくるから!


つらい、苦しい、やれない、できない… のは、本当のわたしではない。本当のわたしは「なんの欠けもない、完璧で偉大な存在なんだ、しあわせなのがデフォルトなんだ」というスタンスに立つ。そこがスタートなんです。

あなたがいま、どんな状況にいたとしても、あなたは本来(あえて “そんなこと” という言葉を使いますが)そんなことで悩むような存在じゃないんです。

「“本来の自分のもの”以外は手放す」こと

本当の自分がなんか凄いらしいことはわかった。じゃあ今のこれは何なんだ?と思いますよね。なんでこんな、できないことがあったり、思い通りにならないことがあったり、苦労が絶えないんだ、と。

これはですね、おもちゃです。借り物です。
この「やれない」とか「できない」とか、「くるしい」「つらい」といった、一般的にネガティブといわれる感情はすべて、借り物です。偉大な私たちが、ネガティブを経験してみたくて借りた おもちゃなんです。

「そんなことする?わざわざ嫌な気分になりたい人がどこにいる?」って思いますよね。

でも、本当の私たちは 偉大な存在すぎて、こわいものがないんです。
「なりたいものには何にでもなれ、行きたいところにはどこへでも行けて、欲しいものは何でも手に入る」…ということは つまり

「会社をくびになった…」「大丈夫!すべてどうにでもできるから!」
「フラれた…」「大丈夫!最高の相手に出会えるって知ってるから!」
「ママ友とトラブルになった…」「大丈夫!本当はすべて愛だから!」

自分が現実をうつしだしていて、どうにでもできると知っているから、こわいと思わない。いやだと思わない。つまり物事に対して「よい」「わるい」がないんです。

「会社をくびになった…」「あらお気の毒に」ではなくて、「明日から会社に行く必要がなくなった」ただそれだけ。「よい」も「わるい」もない。
「それで?私はどうしたい?どんな現実をうつしたい?」ってだけなんです。


それほどの私たちが、そんな偉大な力を他者に明け渡してみたらどうなるんだろう?と経験してみたくて借りたのが、この「やれない」とか「できない」とか、「くるしい」「私はだめだ」などの思考感情なんです。

だからね、これは 本来の自分の持ち物じゃないから、手放せるんです。

靴下を捨てられても、足を捨てる人はいないでしょう?本来の自分のもの以外は、すべて手放せるんです。いやな思考も感情も、あなたを幸せにしない信念 観念 概念、すべて手放せるんです。


そうしたら どんどん、元のなんでもできる、至福感だけの自分に戻っていくんです。

今はピンと来なくても大丈夫です。

「つらいことも苦しいことも あって当然だよ、人間だもの」「良いこともあれば、悪いこともあるよ」と、悲しみ苦しみを甘んじて受け入れるのではなくて、「本当は常時しあわせで存在していいんだな」と知っておくこと。それが大事なんです。

「そんなわけない」とか「あやしい…」と思っても大丈夫。私も最初そうでしたから。頭の片隅に置いておいてくれたら嬉しいです。そして辛い時、苦しい時にちょっと思い出してみてくれたら、もっと嬉しいです。

こころの声に従って行動していくこと

本当の自分に戻っていく過程で、もうひとつやることがあります。それは、こころの声に従って行動していくことです。

そんなの みんなやってるよ、って思うかもしれません。

でも、それって頭の声じゃないですか?

こころの声、つまり本音を、ちゃんと耳を傾けて行動にうつせている人って実はほとんどいないはず。なぜなら私たちは「調和のために我慢する」「人様に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれてきたからです。

「あぁ今日は疲れたから早く帰りたいな」と思っていても、上司から飲み会に誘われたら「じゃあ一杯だけ…」とか言いながら 結局最後まで抜けられなかったり、「ほかの人がまだ誰も帰っていないのに 自分だけ定時であがるなんてできない」なんて思って、誰かが帰るまで残業してみたり。

実は「頭の声」と「心の声」って別物なんです。

頭の声は、あなたを制限の枠組みの中に置くもの。
心の声は、あなたを幸せに導いていくもの。

あなたは何のために生まれてきたのか…、絶対 嫌な思いをするために生まれてきたんじゃないはずなんです。生まれる前のことは記憶がない人がほとんどだと思いますが、絶対 「これをやろう」ってワクワクと自信をもって生まれてきているはずなんです。

私たちは、どこからきたのかも、なぜ生まれてきたのかも、覚えていません。でも、それではただ迷子になるだけなので、ちゃんと「生まれる前に決めてきた あなた仕様の幸福」に向かうための羅針盤を持ってきているんです。

それが「心地よい感情」と「こころの声」です。よく、直感ともいわれますね。

「心地よい感情」になる選択肢を選び、「こころの声」をきいて行動にうつす…。そうすると、あなたの羅針盤は ちゃんと “あなたの幸せ” に連れて行ってくれます。


これが「私が実践してきたこと」であり「これから話そうと思っていること」です。

最初は私も半信半疑でした。
現実は、自分とは別に存在しているものだと思っていたし、自分のこともダメダメだと思っていました。感情や思考を手放すなんて できないと思っていたし、心の声と頭の声の違いもわかりませんでした。


でも半信半疑でも、取り組んでいったら「あ、これは本当かもしれない」って思ったんですよね。そうしたらあとは どんどん変わっていきました。

いろいろな手法を試した中で、一番効果があったのが、ここでお話したことです。「なんで?」って思うところもたくさんあったと思うので、これからゆっくりじっくりお話していけたらいいなと思います。

今日も長文、お読みいただいてありがとうございました。みんなの人生が、最高の人生になりますように。

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