なんだか月1更新みたいになっておりますが、もう7月も終わりですね。今年の夏は全然暑くないな?と思っていたら、一気に暑くなりましたね…!
今日は、「本当のスピリチュアル」についてお話してみようかなと思います。
前回、「なんでスピリチュアルに対して抵抗を感じるのか?」というお話をしました。その最後に、「私が出会ったスピリチュアルは、そういうものではない」と書きました。
その部分について、もう少し詳しく書いてみようかなと思います。
「本当のスピリチュアル」とは?
「スピリチュアル」って一般的に受け入れられているか…というと、そうではないなと感じます。
どうしても「怪しい」というイメージがまだ強いかなと思います。その理由は、前回の記事で書いたように、勧誘される、根拠がない、強制される…などなど…。
でも、私がスピリチュアルと関わってきて気付いたことは、“スピリチュアル” と一言でいっても、実際はいろんなものを全てひっくるめて、スピリチュアルと呼んでいるなということです。
いいものも わるいものも、怪しいものも 怪しくないものも。精神論っぽいもの、目に見えないものは全て “スピリチュアル” になっているなと。
そのなかで、私は「これは本物だなぁ」と思うものに、いくつかの共通点をみつけたので、それをシェアしたいなと思います。
そもそもまず「本物」って?
「本物」…という表現が適切かどうかは分からないけれど、私の中では「本当に人生に良い影響があったもの」を勝手に自分の中で「本物」と呼んでいます。
だから、「何が本物か」は人によって違うのかなと思います。自分にとって何が本物か… 考える参考になったら嬉しいです。
そもそもまず「スピリチュアル」って?
いまはいろんな物事をさして使うこの言葉。もともとの意味を改めて確認してみましょう。
本当のスピリチュアルの意味は「精神的な、霊的な、魂に関する」です。
“目に見える物質的なもの” や 肉体とは対照的な、目に見えない心や魂、信仰といった内面的な世界のことをさします。
つまり、「本当のスピリチュアル」「本物のスピリチュアル」…というのは、「人生に良い影響をもたらすような 精神的な何か」ということですね。
何でしょうね…、みてみましょう!
「本物」の共通点
ではここから、本当に効果があったなと思うものの共通点をみていきます。1つ目はこちらです。
自分に向き合う
「ただひたすらに自分に向き合うこと」です。
「自分に向き合う」ってどういうことかというと。
私たちの目の前には、「現実」と呼ばれるリアルな世界が広がっていて、そこでは実にいろいろなことが起こります。
誰かから嫌なことを言われたり、困ったことが起きたり…。
そのときに、外側ではなく内側に意識を向けることなんです。
嫌なことや困ったことがあった時って、怒ったり対処したりしますよね。
でも、相手にやり返したり、対処に躍起になったりしている時って、意識の矢印はどこに向いているでしょう?
外側ですよね。
そうではなく、まず自分に向かって、自分の内側に矢印を向けるんです。
内側に矢印を向けると、どうなるか。出てくる思考や感情に意識が向きます。そこに ただただ向き合います。
「あぁ自分の中に怒りがあるな」
「自分のやり方を否定されたような気がしたんだな」
「困ったなぁって思っているな」
「こんな感情をもっていたんだな」
そんなふうに、自分の内側に意識を向けること。
外側ではなく、内側に意識を向け、ただひたすらに自分と向き合うこと。
これが共通点のひとつです。
自分で決める
2つ目はこちらです。自分で決めること。
自分の内側に意識を向けて、淡々と自分と向き合っていくと どうなるかというと、自分が何を感じ 何を考えているのか よく分かるようになります。
そんなの、普段から分かってるよって思いますよね?
でもね、本当に自分の心に向き合っていくと、これは 自分の本心じゃなかったって気付くことがあるんです。
「結婚しなきゃ」って思っていたけど、それは周りがどんどん結婚していくからで、本当の本当は「自由がなくなりそうで乗り気じゃないんだよなぁ」とか
「飲み会は参加するのが当たり前」と思って参加してきたけれど、本当は行かないことで後ろ指さされるのが怖かっただけで、楽しいとか 行きたいなんて思ったことなかったんだよな、とか
自分軸じゃなく他人軸で考えてしまっていること、自分の本心だと思い込んでしまっていることって多々あるんです。
そこに気付くこと。
本当の自分の声に気付いて、自分はどう思うか、どうしたいかを、自分で決めること。
周りがこうだから…とか、こう思われたら嫌だから…ではなく、自分がどうしたいかを自分で決めること。
これが2つ目です。
行動にうつす
3つ目は、気付いた自分の本心に従って、行動にうつすことです。
これは私が、本当のスピリチュアルを発信しているなと感じる方々に共通していることなんです。
スピリチュアルって「精神的な」っていうくらいだから、気の持ちようが全てで、神様にお願いすることが全てなのかなと思っていましたが、ちがいました。
本当に人生を変えていっている人は、きちんと行動していたんです。
祈って終わり、願って終わり、「あとは天使や神様よろしく〜」ではなく「あ、こうしよう」とひらめいたら 必ず行動に移していたんですよね。
「飲み会いくの好きじゃなかったんだ」って気付いたなら「申し訳ないのだけど、今回は不参加とさせてください」と 誠心誠意つたえる。
そうやって、自分の心をきちんと現実世界に落とし込んでいたんです。
否定しない
4つ目は、周囲のいろいろなものを否定しないということです。
というより、「なにかを否定する」というのは、ズレている合図なんです。
なぜなら、1つ目の「自分に向き合う」を徹底していたら、外側の誰かや何かを否定する、ということはできないからです。
「ねぇ、それは違うんじゃない?」って相手に向かっていっている時点で 矢印は外に向いているからです。
そして、2つ目の「自分で決める」を徹底していると、自分に本心があるように、他人にも等しく、それぞれに本心があることに気付くようになります。
そうすると、たとえ同意できなかったり 理解できなかったりしたとしても、「私にとってこれが正解だと思うように、この人にとってはあれが正解なのかもしれないな」と認められるようになるんです。
「賛同する」と「認める」って似ているようで大きく違います。
「私もそう思う!」と「理解しがたいけど、それがあなたの考えなのね」って違いますよね。
認める…「それがあなたの考えなのね」が出来るようになると どうなるかというと、放っておけるようになります。
「自分と他人が同じでなくてはならない」と思っているから争いが起きます。
でも、「よく分からんけど、君はそうなのね」で終わらせられるようになると、黙ってそっと その場を離れられるようになります。
まるで、ビュッフェで他人のお皿が、信じられないような組み合わせになっていたとしても、相手のお皿に口を出すことなく 立ち去ることができるみたいに。
「自分に向き合う」
「自分の意見と同じように、他人の意見も尊重する」
これができると、誰かや何かを否定することがなくなります。
私が知り合った方々との間では、本当にびっくりするほど他人の悪口が出てこないんです。
生き方あり方で示す
今まであげてきたことを全部実行すると どうなるか…「生き方あり方で示す」ということになります。
他人にあれやこれや指図するのではなく
淡々と自分に向き合って
淡々と行動していく…ということですからね。
そして「生き方あり方で示す」ということは、誤魔化しが効かないということでもあります。
「愛で生きましょう」と言っている割に、やたら他人のことをボロクソに言う…。「私には天使がついています」という割に人生に常に苦しそう…など。
言葉ではどうとでも誤魔化せても、「生き方あり方で示す」となると、一気に難しくなります。
わたし自身もそうですが、スピリチュアルを学んでもなお、自分自身が生き方あり方で示すって とても難しいんです。
だからこそ、「この人の言っていることと、やっていることは一致しているなぁ」と感じる方からきいた話は、実践すると本当に人生に変化があることが多かったなと思います。
まとめ
私が「この方は本質を生きているな」と感じる方々や、「本当に人生が変わったなと思う教え」に共通している点をご紹介してみました。
本当のスピリチュアルとは、ただただ 自分に向き合うことだと思っています。
ただひたすらに自分の内側に意識を向け、出てくる思考や感情に向き合い、自分を極めていくことだと思います。
昔のスピリチュアルは違いました。スピリチュアルというか、昔の宗教…ですかね。
昔の宗教は、「これが正しい」に人々を当てはめようとするものでした。(人々を支配するために “これに従わないと地獄に落ちちゃうよ” が必要だったんですよね…)
でも、今は時代が違います。もう新しいスピリチュアルがあってもいいのではないかな、と思います。
新しい現代のスピリチュアルは、人に強制するものではなく、ただ自分に向き合うことじゃないかなと思うんです。
自分が何を感じるのか、どうしたいのか、自分の心にきいて自分で選択していくもの。
他人や社会に決めさせるのではなく、自分が決めること。自分が選ぶこと。自分に力を取り戻すこと。
そして、自分の選択を尊重するのと同じく、他人の選択も尊重できること。
ただ自分の心の声を知って終わるのではなく、きちんと現実的な行動にうつしていくこと。
それらを淡々と生き方あり方で示すもの。
自分の内側に淡々と向き合っているとね、たまに自分でもびっくりするくらい、あったかい見方や 斬新な視点に気付くことがあるんです。
「あぁ、結局自分も同じことしちゃってたなぁ」とか「あの人も精一杯言葉を選んでくれてたんだな」とかね。
ひとの心って本来とっても素敵なものだと思うんです。
みんなが自分に集中するようになれば、世界はもっと優しいものになるんじゃないかしら。
「苦しい」も「羨ましい」も、自分自身がちゃんと気付いて向き合うことができたら、他人にぶつけてしまうような悲しい出来事もなくなるんじゃないかしら。
「スピリチュアルを信じるかどうか」は一旦置いておいていいから、自分に向き合うことの素晴らしさが伝わっていったらいいなぁと思います。
